java-ja.OSSに参加
初のjava-ja参加でした。
なんというかよく分からないテンションなので書きなぐってみます。
(遊びで書いた)コードの保管場所としてのGitHub
PC移行するときに面倒臭いしGitHubに置いてそういうリポジトリの通知を無視する勇気をもつ、とかそういう話が途中に発生していた。
これは私もある種同意見というか、私はもっとアレな表現として"GitHubはある種のゴミ箱"という考え方を持っている。 (会場でその発言したのも私なので謝る必要がある。アレな表現でごめんなさい)
私は仕事以外のコードはだいたい暇つぶしとか遊びで書いている感覚で*1、まぁPCを交換するかもしれないしなんか捨てるのももったいないので、どこかに退避させたいときにGitHubやBitbucketが楽だからpushするわけですね。 でまぁ、ここまでならアーカイブとかかっこいい言い方をすればいいのかもしれないですけど、他人が見るわけでもない、自分が見返すこともほとんどない、そんなコードが放り込まれている。 このただの投棄をカッコよくいう気は私はしないという話なだけです。
2015/10/06 13:00頃の追記
私にとっては、なので別に他の人にその定義を押し付けるつもりはありません。
GitHubでのコミュニケーション云々
したくないというか、英語できないマンとしてはno descriptionでpull request送ったり5単語以内に収めるとかよくわからないことしてます。
当日聞きたかったけど聞けなかったこととしては
no descriptionのpull requestが飛んでくるとどんな気持ちになりますか?
というのがあったが、まー本題ではないしいいや。
コミュ障とかパートナーとか
コミュ障というものにはいくつかあると思っていて、今回の場合だと
- 見知った人にはそれなりに受け答えできる
- 興味があること以外に関する会話の組み立てができない
- (初対面だとだいたい「あー…」とか「えーと…」という反応になりがち)
とかそういう意味でのコミュ障ではないかと想像している。 だから勉強会運営などは知り合いメンバーで固めればそれなりになんとかなるし、ある程度定型文での受け答え+興味ある話での受け答えでなんとかなるのではないか、と。
パートナー云々の話は、パートナーという存在がいない身としては「ふーん、大変そうですね」以上の反応しかできなさそうです…。 いやまぁ、この自由こそがパートナーがいないことと引き換えの何かなのだろうとは思いますけど。
枯れたOSSの件
戦略的にはまだいくつかあると思いました。たとえば
- 「私はつよい。ので、このOSSは完成している。疑問があるならここで質問どうぞ」と書く
- 信頼度の問題?
- 例えば定理証明支援器(Coqとか)で証明されたリポジトリに対して「最終更新が昔だから」とかの理由で使わないってあるのかな、みたいな
週末に自分のプロダクトを頑張る
目的があってやってるとこういうことになるのだなーということがしれてよかった。
目的なく気が向いたら自分のプロダクト触っているマンなのでたぶん縁のない話でしょう…。
自己鍛錬としてのOSS
なんか、つよいなーという感想(小並感
前述の通り私は休日は暇つぶしととか気が向いたらコードを書いている面が強いので、たぶん筋トレ的な開発は向いていないだろう。 気が向かないのにやろうとしてもストレスにしかなりそうにないと言い訳しつつ。
プログラマとしてOSSと関わりながら生き残るためにとった生存戦略 - scalaとか・・・
そういえば、上記記事も似たような理由でつよいなーと思ったのでした。 まぁ、私はOSS開発者という括りには入っていないと思われるので生存できてないわけですが。
余談: 暇つぶし道具としてのGitHub notifications眺め
昔からmixiのなにかとか、Yahooニュースのコメント欄とか、twitterとかを数時間(長ければ丸一日)飽きもせず(かといって楽しむわけでもなく)ぼーっと眺めて人生の何割(?)かを過ごした身としては、ある意味GitHub notificationsは暇つぶし手段として良いと思っています。
ただリアルタイムに追っているわけではなく、メールで飛んできているnotificationを、時系列の新しいものから順に気の向くまま目的もなく眺め続けるだけなので、結果として役に立っているかどうかは不明ですね。 ザ・時間の無駄遣い。
感情とOSS(?)
目的あって開発している人はパワーが違うなと思ったり、というか感情爆発させたあとでもきちんとリカバリーできているのすごいなと思いました。 私だったら間違いなく後悔で2週間ほど引きずるので感情で動けない…。
独裁とOSS
仮にscalazコミュニティ崩壊の元となった方にLinus氏やDHH氏のようなカリスマ?(他に単語を思いつかなかった)みたいなものがあれば、ことなる結果を歩んでいたのだろうか。 いやでも、Scalaってそういう優しい(?)独裁者をなかなかみない気がするのでScalaというコミュニティ的に避けられなかった話なのだろうか?
*1:pull requestは例外